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世間では適度な運動が推奨され戸田公園でもランニングや散歩中の戸田市民の方々を大勢見かけますが、私は大会=減量が無くなり一歩も部屋から出ないまま悠々自適な快デブオタクライフを謳歌しております、スーパーライト級(プロボクシング階級準拠)coxの小島です。目指せ無差別級。
さて、高校時代のお話にまいります。おそらく死を間際に振り返ったとしても、私の人生における最もストイックだった時期は高校生の時、特に高校3年生の頃だと断言できます。当時は受験生だったので毎日そこそこの時間を受験勉強に割きつつ、部活にもインターハイまで本気で取り組みました。食事・睡眠・遊びといったいろんな欲求を削ぎ落しながら学校→部活→予備校→減量のサイクルをぐるぐるぐるぐる。目標に向かって本気で打ち込めたことは幸せなことではありますが、今思えばよく倒れなかったよね。人間って思いのほか丈夫にできてるんだなあと感じながら生きていました。
この高校時代の禁欲的な経験の反動かわかりませんが、大学生になってからなかなか我慢をすることが難しい性格となってしまいました。基本的につらいことはしたくないし、減量なんてしたくないし、趣味も全開放してしまうし、叫びたいときには思いっきり叫びます。それでは大きな声でご唱和ください。
「うんち!!!!ぶりぶりぶりゅりゅりゅ!!!!」
しかしながら、「あの時よりはきつくないな」という思考に陥ってしまうと大抵のことはきついとすら感じることなくこなせるようになってしまいした。まあ世のボート部の方々の殆どは主にエルゴの経験から同じようなことを考えているだろうことは自明の理です。
「辛かったけど振り返ればいい思い出」みたいなことは基本的には無いと僕は思うんです。どんなに時間が経って風化しても、当時辛かったという事実や感情は絶対に変わらないのに、それを「いい思い出」って曖昧な感じにしちゃうのは個人的にはあまり好きではないです。辛かった思い出もそれだけでは言い表せない周辺の雑多な感情もまるごとそのまま心の中にしまっておこうと思います。こうやって書いてると、あの頃には絶対戻りたくねえと改めて感じられるのでいいですね。
P.S.哲学の知識がないため表題のアパテイアには触れられませんでした。無念。
【懺悔室】3年 星逸人
高校時代といえば部活漬けの充実した生活でした。校則も緩く、付属高校で大学受験の心配もありませんでしたから、のびのびと自分のやりたいことをやれるとても恵まれた環境でした。入学と同時にボートと出会い、入部しました。活躍した先輩方は何人もいらっしゃいましたが、決して強いチームではなかったですから、「全国大会出場」がチームの目標でした。仲間たちとただがむしゃらに練習したあの日々は僕の青春です。
しかし同時にたくさんの人に迷惑をかけたことも思い出してしまいました。短気で身勝手な私は人と衝突することがとても多かった。チームのメンバーと些細なことから怒鳴りあいになったり、練習中に邪魔だった人に怒鳴りかけたりして、そのたびにコーチや先生に諫められたものです。ただのヤバい人です。反省してます。
先生といえば、担任の先生とも仲が悪かった。自分ではそんなつもりはなかったのですが、授業態度が悪く見えたのか一度ひどく叱られてからはどうにも先生を好きになれず、意地を張っていました。挨拶もしなくなり、先生の椅子をこっそり蹴っ飛ばしてました。ごめんなさい。
まだあります。高3の夏、中大艇庫をお借りしての練習中にだらだらしている後輩にシビレを切らし、私は力加減を間違えて更衣室の窓ガラスをぶち破ってしまいました。ただのノックのつもりだったんです。辺り一面自分の血だらけ。後輩を注意するつもりが救急車で運ばれ手首を7針縫う始末。ダサい。ダサすぎるッ、、! あの時は本当にすみませんでした。
ああ、私はどうすればよいのでしょう。皆様、この愚か者をどうかお許しください。これからは心を入れ替えて生きてゆきます。短気は損気。怒って良いことは何もありません。この思い出を戒めとして、もう一度自分の生活態度を見直してみようと思います。。
「ぷろてすと」4年 渡邊翔哉
好き勝手やらせてもらったと思っている。身の程は熟知していたが、虚勢の一つや二つ、張りもしなければ「仕返し」は成し遂げられぬ、と。
母校の精神は基督の教えに基づくもので「右の頬を殴られようものなら左の頬も差し出せ」(マタイ5章39節)といった塩梅である。生憎内なる血気は盛んであった為、数多くの教えこそ諒解すれど、こればかりは受け入れ難いものであった。
俺を蔑む輩は一定数いる、大多数は無関心である。そう思い込んだ。中高一貫であったために中学時代の心的外傷を残したまま高校へ進学したことは言うまでもない。思い出しては怒り憎しみ、その細やかな抵抗として定期試験や部活動における将棋大会などで結果を残すことを意識してきた。凡ゆる行動の源流には斯様な抵抗心が存在していたのだ。精一杯の「仕返し」である。
とまあこう記せば手にした評定や賞状、トロフィーも読み手にとっては虚無に映るかもしれない。確かに対人関係に難有り且つ捻くれているという客観的意見は否定のしようがない。併しながら高校時代、その鬱憤を意識的に結果を残すこと「だけ」に向けることで非暴力の抵抗を実現したのも事実だ。暴力は負の連鎖を呼ぶということを身をもって知っていたためである(それについては此処では記さない)。そう信じて疑わなかった。
今となっては非常に歪な話だと思う。通りでペラペラな訳である。上っ面は保てても内実が伴わぬ。恥とも言える。部に飛び込んで正解だった。色々な思想、実力を持った人間に触れ合い、未だに触発(或いは打ちのめ)される日々だ。
生憎頬を殴ってくるような輩は居なくなってしまった--そもそもそんな奴は居たのか?俺の高校時代はそこまで軽薄だったか?今一度件の聖句に込められた意味を咀嚼し、答えを出さねばなるまい。もう少しだけ時間が欲しい。時間がない。必死の「抵抗」である。
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